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キャスト

相馬千秋

アートプロデューサー

工藤安代

アート&パブリック協会理事

倉本美津留

放送作家

北川フラム

アートディレクター

津田大介

ジャーナリスト

平芳幸浩

京都工芸繊維大学教授

天川彩

作家/プロデューサー

小林國雄

小林國雄

盆栽作家

工藤シンク

サイハテ村発起人

本間桃世

アラカワ+ギンズ東京事務所代表

小室弘毅

小室弘毅

関西大学准教授

大浦信行

大浦信行

映画監督/美術家

岡本有佳

岡本有佳

表現の不自由展実行委員

藤野一夫

芸術文化観光専門職大学教授

木田真理子

ダンサー

土屋日出夫

土屋日出夫

オリエント工業社長

靏久暢行

造形師

M.K.

M.K.

ドールメイク師

大澤瑞紀

ドールディレクター

富永朝和

蜂研究家

太田忠

太田忠

なまはげ館解説員

光島貴之

光島貴之

アーティスト

広瀬浩二郎

国立民族学博物館准教授

リー智子

リー智子

アーティスト

関野吉晴

関野吉晴

冒険家

鎌田東二

鎌田東二

宗教学者

ケロッピー前田

ケロッピー前田

ジャーナリスト

大川ふみ

大川ふみ

臨床心理士

郡司ペギオ幸夫

早稲田大学教授

人工知能美学
芸術研究会

アーティスト

佐治晴夫

佐治晴夫

宇宙物理学者

登場順、敬称略

ナレーション

町田 康

作家。1962年大阪府堺市生まれ。 20歳ごろより音楽活動を始め,後,小説に転じる。『きれぎれ』で 芥川賞受賞。『くっすん大黒』『告白』『ギケイキ』など著書多数。 近著に『男の愛 たびだちの詩』『ふたつの波紋』(伊藤比呂美氏との共著)など。 「宇治拾遺物語」の口語訳なども手掛ける。

スタッフ

影からの声

椹木 野衣

美術批評家。 山間の秩父に生まれ、京都の同志社で哲学を専攻。 のち東京に移り、1991年に最初の評論集『シミュレーショニズム』(1991年、増補版=ちくま学芸文庫)を刊行、批評活動を始める。 おもな著作に『日本・現代・美術』(新潮社、1998年)、『戦争と万博』(2005年)、『後美術論』(2015年、第25回吉田秀和賞)、『震美術論』(2017年、平成29年度芸術選奨文部科学大臣賞、いずれも美術出版社)ほか多数。 キュレーションした展覧会に「アノーマリー」(レントゲン藝術研究所、1991年)、「日本ゼロ年」(水戸芸術館、1999–2000年)、「平成美術 うたかたと瓦礫(デブリ) 1991–2019」(京都市京セラ美術館、2021)ほか、監修に『日本美術全集 19 拡張する戦後美術』(小学館、2015年)などがある。 1985年の日航機123便御巣鷹の尾根墜落事故を主題とする戯曲に「グランギニョル未来」(2014年)、福島の帰還困難区域で開催中の“見に行くことができない展覧会”「Don’t Follow the Wind」では実行委員を務め、アートユニット「グランギニョル未来」(赤城修司、飴屋法水、山川冬樹)を結成、展示にも参加している。

エンディングテーマ

「何」
SUPER JUNKY MONKEY

1993年にCBGB(NY)でライブを行ない、翌年インディーズでライブ盤をリリースしSONY RECORDSよりメジャーデビュー。国内・海外でライブを積極的に展開し、日本人で初めてMTVのジングルを制作、アメリカの音楽業界誌Billboardの表紙を飾り、同時代の日本のバンドに大きな刺激を与えた。1999年、活動休止。2010年、FUJI ROCK FESTIVALに出演。2015年、LIQUIDROOMでイベント開催。2019年、CLUB251で2daysイベント開催。 ≫YouTube  ≫Instagram  Facebook

監督

山岡 信貴

1993年に初長編映画「PICKLED PUNK」を監督。ベルリン映画祭ほか多数の映画祭に招待上映される。以後も実験的なスタイルを貫きながら定期的に作品を発表し続けつつ、携帯電話キャリアと共に視覚の心理状態への影響の研究やデバイス開発等、サイエンスの分野にも積極的に取り組んでいる。2013年にはロサンゼルスのIndependent film makers showcaseにて全長編作品のレトロスペクティブが開催された。
2010年からドキュメンタリー映画の分野にも進出し、「死なない子供、荒川修作」「縄文にハマる人々」「トゥレップ ー海獣の子供を探してー」などを発表。「縄文にハマる人々」と新作ホラー映画「センチメンタル」ではルミエール・ジャパン・アワード優秀作品賞を受賞する。

山岡監督からのコメント

「アートなんかいらないんじゃないっすか、以上!」と言ってればOKな世の中なんだと思いますが、アートに興味を持てなくなった自分が、じゃあそこでいう「アート」って何だろう?とか、「いる」とか「いらない」ってそもそも何?とか、立ち止まって考えてみた結果がこの映画です。「いらない」と思っているものを「いらない」と述べるためだけの映画なんて「お前が一番いらんがな!」と叱られそうですが、パンデミックでいろんなものが止まってしまった状況もあって生まれたものなので、人間というものの珍妙さを観察するには興味を持っていただけそうなものができたかなと思っています。

映画「アートなんかいらない!」

2021年度作品 カラー DCP

上映時間

Session1: 98分 Session2: 88分

映倫G

制作:リタピクチャル

配給協力・宣伝:プレイタイム

文化庁「ARTS for the future!」補助対象事業

©︎2021 リタピクチャル

 

お問合せ: movie@art-iranai.com

SUPER JUNKY MONKEY

profile

Super Junky Monkey are a gutsy, innovative band of four Japanese women that began playing in 1991. Singer Mutsumi “623” Takahashi, guitarist Keiko, bassist Shinobu Kawai, and drummer Matsudaaahhh!!! released the first Super Junky Monkey album, the all live indie release “Cabbage,” in 1993. The album showed their unique and furious, yet fun, brand of jazz, funk and hip-hop-spiced grunge rock, which some compared to the Red Hot Chili Peppers and Rage Against The Machine. The band had serious chops as musicians, often playing intricate and sometimes odd musical parts, and had a dynamic front person in Mutsumi. The band and the album gained critical acclaim, which resulted in their second album, 1994’s “Screw Up,” being released by Sony, which did not in any way tame the band’s adventurous character or provocative lyrics, which were often in English. In 1993, Super Junky Monkey played CMJ’s Music Marathon in New York and went over quite well. In 1994, the then leading English language magazine in Japan, Tokyo Journal, named them “Band of the Year”. In 1995, the band released the EP “AIETOH” and played the Foundation Forum, a “hard music” convention held in LA, where they were perhaps
the most talked about band of the event. They also had their first American release in 1995. The band continued with Sony for two more albums, “Parasitic People” and “Super Junky Alien,” which were progressively weirder and wilder. They continued to split their time between the US and Japan, and in 1996 again played in New York. In 1997 the band was basically inactive.
However, things started to pick up again in 1998. They played dates in Japan with American all-woman punk band L7 and began recording demos. On Dec. 24, 1998, the band was to play their last show with the original line-up. To the shock and sadness of many, especially within the indie music community, Mutsumi died on Feb. 5, 1999; this was to be the end of the original lineup of Super Junky Monkey.
A tribute to Mutsumi was held on May 9, 1999, and subsequently a retrospective album called “Songs Are Our Universe” was released on 3rd Stone Records.
On June 20th, 2009, 10 years after the death of Mutsumi, Keiko, Shinobu and Matsudaaahhh!!! played together on stage at the Liquid Room in Ebisu, Tokyo.
They played together again on Red Marquee Stage at FUJI ROCK FEST.2010, LIQUIDROOM Tokyo 2015, and Club 251 Tokyo 2019.

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